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真光寺へようこそ

真言宗開祖弘法大師様御入廷1150年

御遠忌法要記念として、

経間の格天井を修復した天井画。

当寺は笹山地内の山寺で七堂伽藍を所有していた大威徳山慈尊院西方寺の塔頭十二坊の一番上席をを勤めていた。西方寺は、民衆の気依も厚く、その中でも上杉家は深く信仰されており、上杉景勝(1556~1623)により、山林、田畑を寺領として寄進された。慶長三年(1598)上杉景勝は豊臣秀吉によって、会津藩領米沢(現在の山形県米沢市)へ移封。大威徳山慈尊院西方寺と塔頭十二坊のうち、十一坊は上杉景勝にお伴し米沢へ移転されたが、真光寺は住民の強い要望で笹山地内に残る。

本寺である西方寺のご本尊は立像阿弥陀如来像(身丈一丈三尺)。代々、真光寺がお守りしていたが、元和9年(1624年)に火災で焼失。寛政元年(1789年)に山寺地内より現住所へ移転されるも寛政九年(1797年)と弘化二年(1846年)の二度火災で焼失。その後、再建されました。

戦時中、金属類回収令に伴い、梵鐘を供出をよぎなくされたが、昭和四十四年(1969年)に檀家の塚崎家より寄進されました。

明治三年(1870年)当時の住職遠藤頓阿師と別山村庄屋高橋甚次郎の協力により、真光寺塾を開設。明治五年(1872年)に太政官布告による学制領布により、真光寺塾は県下229の一つになり、別山小学校(現在は廃校)と改称される。また、第二次世界大戦後、西山町立の保育所ができるまで幼児教育所として当寺が使用されていました。(※写真は真光寺塾の時に実際に使用された机)

本堂の外陣にひっそりとお座りになっているのがおびんずるさまです。十六羅漢のお一人で、第一番の賓度羅跋羅堕闍尊者。万病を治す法力があると言われ、悪い所をなでて祈願すると霊験の効力があります。